物理的な距離は関係ない『アイアムアヒーロー』第227話 [アイアムアヒーロー]
【ネタバレ注意!】本記事はネタバレを含みます。本編を未読の方はご注意下さい!
「交信」が始まった比呂美とクルス。
しかし、その内容はまったく要領を得ないものになっています。
よく分かっていない比呂美と、全てが分かっているクルス。
印象としては、そんな感じ。
「交信」は会話だけではなく、感覚まで伝えることができるらしく、
クルスのアクションが、そのまま比呂美に伝わります。
なんとも便利というか、不思議というか・・・。
で、ここからのクルスの言葉が非常に意味深長。
読んだままを解釈すると、ZQNにしろ、クルスにしろ、彼らは全て、
比呂美を頂点とする一つの集団ということになりますかね?
いや、ちょっと違うか。
何だろ?
比呂美の意思の元に集まった?
集められた?
うーん・・・・・・上手い表現ができません。
前回の「お前の望み通り」とか、そのへんの台詞にも
端的な意味は込められている気がします。
比呂美の望み・・・ということで思い浮かぶのは、
第153話のリヤカーのシーンにあった
「世界が、このままでもいいかもって・・・」
ってやつでしょうか。
とすると、この今の状態は比呂美が望んだ世界
・・・ということになるわけで。
まるで『ビューティフルドリーマー』的なことが起こっている?
いやー、いくら考えても推測の域を出ませんね。
と、ここで二人の「交信」を遮る英雄。
すっかり蚊帳の外という印象の主人公です。
しかし、あれですね。
クルスは英雄には「交信」して来ないんですね。
もし、本当に英雄も感染しているならば、
彼にも何らかの形で呼びかけてくることがあっても良さそうですが。
まるで眼中に無いということなのか。
さて、船長から孫の生死を確かめてもらいたいと頼まれた比呂美。
その孫「かいと」は、比呂美が名前を呼んでも反応がありません。
明らかにZQN化している様子。
そこで比呂美は、手と手を触れ合わせることを試みました。
言葉の会話は出来なくても、「交信」なら可能なのか。
クルスを真似る形になった比呂美は、海人とどのような言葉を交わすのか。
次号は休載だそうです。
【追記】
第228話の記事はこちら。
「交信」が始まった比呂美とクルス。
しかし、その内容はまったく要領を得ないものになっています。
よく分かっていない比呂美と、全てが分かっているクルス。
印象としては、そんな感じ。
「交信」は会話だけではなく、感覚まで伝えることができるらしく、
クルスのアクションが、そのまま比呂美に伝わります。
なんとも便利というか、不思議というか・・・。
で、ここからのクルスの言葉が非常に意味深長。
読んだままを解釈すると、ZQNにしろ、クルスにしろ、彼らは全て、
比呂美を頂点とする一つの集団ということになりますかね?
いや、ちょっと違うか。
何だろ?
比呂美の意思の元に集まった?
集められた?
うーん・・・・・・上手い表現ができません。
前回の「お前の望み通り」とか、そのへんの台詞にも
端的な意味は込められている気がします。
比呂美の望み・・・ということで思い浮かぶのは、
第153話のリヤカーのシーンにあった
「世界が、このままでもいいかもって・・・」
ってやつでしょうか。
とすると、この今の状態は比呂美が望んだ世界
・・・ということになるわけで。
まるで『ビューティフルドリーマー』的なことが起こっている?
いやー、いくら考えても推測の域を出ませんね。
と、ここで二人の「交信」を遮る英雄。
すっかり蚊帳の外という印象の主人公です。
しかし、あれですね。
クルスは英雄には「交信」して来ないんですね。
もし、本当に英雄も感染しているならば、
彼にも何らかの形で呼びかけてくることがあっても良さそうですが。
まるで眼中に無いということなのか。
さて、船長から孫の生死を確かめてもらいたいと頼まれた比呂美。
その孫「かいと」は、比呂美が名前を呼んでも反応がありません。
明らかにZQN化している様子。
そこで比呂美は、手と手を触れ合わせることを試みました。
言葉の会話は出来なくても、「交信」なら可能なのか。
クルスを真似る形になった比呂美は、海人とどのような言葉を交わすのか。
次号は休載だそうです。
【追記】
第228話の記事はこちら。
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